24年11月 七五三って言うけどその由来は?
朝晩が冷え込み、いつのまにか秋を通り越し「冬が来た」と感じられるようになりました。「七五三」の時期では着物などを着用しますので、心地よい季節なのだと思います。皆さんは「うちの子が3歳・5歳・7歳になったので七五三で祝わなくっちゃ」と会話をされますがその詳細はご存知でしょうか。私もあまり知りません。そこで調べたところ、起源は、医療が未熟で衛生面もよくなかった平安時代あたりで、お子さんの死亡率がとても高く祈祷に頼っていました。ある程度成長した7歳で一人前であると認められていました。今も昔も子どもが無事に育つことは親にとっては大きな喜びであり、成長を願わずにはいられないものでした。その環境の中で3歳、5歳、7歳の節目に成長をお祝いをしたことが七五三の由来とされております。ではなぜ男の子女の子で年齢が違うのか?まず三歳は「髪置きの儀」男女ともに生後7日目に頭髪を剃り3歳までは丸坊主で育てていました。これは不潔な頭を清潔することで病気の予防になると信じられていたためです。3歳の春を迎える頃に子どもの健やかな成長を願い、また長寿を祈願するために白髪を模した白糸や綿白髪を頭上に置いて「髪置きの儀」を執り行ったと伝えられています。五歳「袴着(はかまぎ)の儀」には男の子は当時の正装である袴を初めて身に付ける「袴着(はかまぎ)の儀」を執り行いました。この儀で男の子は少年の仲間入りをし羽織袴を身に付けたとされています。七歳「帯解(おびとき)の儀」は平安時代ではなく鎌倉時代に着物に使っていた付け紐を外し、帯を初めて締める儀式が執り行われていましたが室町時代に形が変わり「帯解(おびとき)の儀」として制定されました。この儀式を迎え大人の女性への入口と認められていました。なぜ3歳・5歳・7歳なのかという理由は、以前のひな祭りの項でお話いたしましたが、陰陽道では奇数が重なる日にお供えやお祓いをするとよいという風習がありましたが年齢においても奇数は縁起がよく成長の節目の歳として祝ったといわれています。さらに大きな理由として「7歳までは(神の子)」として扱われ、成長を神に感謝するため神社にお参りいたしました。通常は氏神様が祀られた近所の神社に11月15日にお参りいたします。ではなぜ11月15日なのか?これは徳川将軍家の「袴着の儀」がおこなわれた日が踏襲されています。ではなぜ徳川家は11月15日になったのでしょうか。旧暦の月の決め方で「11月は冬至を含む月」と規定されています。11月が新月でこれを境にして次の月が決まっていく始まりとされています。そして15日は毎月ほぼ月が満ちる満月になり、この日に大切な儀式を行うとして11月15日に決められました。そして明治政府によって制定されました。現在では氏神様を祀る近くの神社に限らず、歴史で有名または景観の美しい神社などにもお参りされています。しかし、親のこだわりであまり遠方の神社などの場合、慣れない着物などでお子さまが疲れてしまうこともあります。あくまでも3歳から7歳の小さなお子さまが主役だということを忘れずに、お子さまの負担にならないように心掛け、お祝いをして下さい。何よりも、風が肌寒く、朝晩の寒さが一段と増し風邪やインフルエンザにかかったりしますのでご家庭の皆様も油断せずお祝いをしていただきたいと思います。